東洋医学が十分な準備なしに西洋医学の土俵に乗ることは危険

2012-02-05

西洋医学は有形を基礎に成り立ち、元極学は無形を重視する立場をとる。それを前提にする場合、「無形」の有効性を説明するために「有形」化という手段を用いることは、自己撞着ではないのか。たとえば、元極功法の有効性を示すために、ガン患者のCT撮影を行なう。そして、気功治療の前と後を比較するといったことだ。西洋科学の普遍性を信じている人々を納得させるためには、そのような手段がある局面で必要なことはわかる。だが、基本的なスタンスの取り方として、これではまずいような気がするのだ。ぼくは専門家に、現代医療の最先端部分で行なわれていることについても尋ねてみた。たとえば、臓器移植である。「人間のからだは、大きく分けて二つ−先天的な部分(精神システム・無形)と後天的な部分(身体システム・有形)から成り立っています。もし、後天的な部分が病気で使えなくなったら、臓器移植で補うことも問題ないでしょう。ただ、元極学では人間の肉体を支配しているのは精神システムと考えていますから、本質的な解決にはならないと思います」後半部分でなんとか救われるが、臓器を機械的に取り替えることに対して存外無関心なことに驚かされた。また、人工授精については、「自然と方法は違うかもしれないが、結果は同じだからかまわないのではないか。たとえば、パンを膨らませるとき、酵母を使う方法と化学薬品を使う方法とがあるが、結果としては同じパンができる」という答えが返ってきた。西洋医学の現状に対する認識の素朴すぎることが少々気になる。ぼくはべつに専門家を非難しようと思っているわけではもちろんない。東洋医学をベースにしている人が、十分な準備なしに西洋医学の土俵に乗ることの危うさを指摘しておきたいだけだ。実際に元極功法を受け、それで病が癒える人がいる。それは、中国思想を基礎にした理論で証明されればいいのであって、なにも西洋医学的手法を借りる必要はないのではないか。いやむしろ、そうしようとするのは危険なことのような気がしてならないのである。